2023年度 学位記授与式 式辞
式 辞
本日ここに学位記授与式を迎えられたみなさんに、本学の教職員を代表して、心よりお祝いを申し上げます。ご卒業おめでとうございます。
この春、大学院を卒業する方は6名で、その内訳は修士課程文学研究科2名、修士課程社会福祉学研究科1名、博士後期課程文学研究科3名です。学部生は345名が卒業を迎え、その内訳は文学部 130名、社会福祉学部215名です。本日、学位記を手にされ、ここに至るまでの苦労や仲間と共に経験した感動など、様々な思いを巡らせていることと思います。
とりわけ皆さんは、2020年初頭に始まった新型コロナウイルス感染症がまん延する中で、大学生活を送られました。大学のキャンパスからは学生の歓喜の声が消えました。何よりも友に会うことすら不自由になりました。そうした苦境を乗り越えて、この場に集っておられるみなさんの努力に敬意を表します。また、ご家族をはじめみなさんを支えてこられた方々にも感謝を込めてお祝いを申し上げたいと思います。
2022年2月、ロシアのウクライナ侵攻が始まりました。教育哲学者の今井康雄先生が話されるように、第一次世界大戦が始まったとき、ドイツでもフランスでも若者たちは熱狂して兵隊に志願していきました。彼らは、どちらが勝つにしても、戦争は数週間か、せいぜい数カ月で終わると考えていました。ところが戦線は膠着してしまい、結局4年間も戦争が続きました。ロシアのウクライナ侵攻も1年を超えて続くとは多くの人々は思っていなかったでしょう。しかし戦争は2年経った今も続いています。毎日のように戦争の中で悲しむ人々の声が世界中に届けられています。さらに、2023年10月、イスラエルのガザ地区への侵攻が始まりました。
20世紀は戦争の世紀といわれました。第一次世界大戦、第二次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、多くの戦争が世界各地で勃発しました。しかしながら、日本は、1945年以降一度も戦争を経験することなく、約80年が過ぎようとしています。福田歓一先生がおっしゃったように「ドイツとフランスとの何百年にわたる敵対関係がもう一度復活すると考えるものは誰もいない」。戦争の世紀は終わったはずでした。
それにもかかわらず、私たちが思い知らされたのは、21世紀にも戦争が身近な問題として続くということです。そして、その戦争が全人類の平和と安寧を脅かすということです。当事国だけでなく、EU諸国はもちろんのことその他の資本主義国家も政治・経済の両面で対応に追われています。アフリカやアジア各国までもが経済の混乱という大きな打撃を受けています。全て関係国でありこの戦争の下にあります。遠いヨーロッパにおける戦争ではないのです。
コロナ禍で混乱していたグローバル経済は、ウクライナ戦争で壊滅的な打撃を受けました。ヒト、モノ、コトがグローバルに動いていたこれまでの経済・社会体制が機能しなくなりました。二十一世紀の基本的な経済・社会体制が崩壊したのです。
壊滅的な打撃を被った供給網(サプライ・チェーン)を再構築しなければなりませんが、その際には政治の関与の度合いが強まります。特定の国への供給網の依存は政治的に避けられることとなります。また、グローバル経済以降の国内及び国外の経済のあり方を検討する際には、経済の視点だけでなく、それぞれの国や地域における文化、民族、歴史の視点が重要度を増します。
このようなグローバル経済の次に来る世界では、地域そして社会が極めて重要になってきます。人々の多くは地域に住んでいます。社会のなかで活動しています。グローバル人材の育成も必要ですが、「地域人材の高度化」が最も喫緊の課題です。
どの社会も個性と歴史を持ち、地域に根を生やしている以上、社会と地域の将来を慮り、多くの人々を糾合して新しい姿を描き、実践していく人材には何よりも地域性へのこだわりが必要です。専門性の高い政治や行政、地域経済の担い手なしに社会の再生産は不可能です。
人は具体的な人との関係の中に生きているのです。家族や地域や職場の仲間という具体的な人との関係の中で人は生き、それらの人々との間で愛や友情や信頼を醸成し、そこにこだわりを持ち、生きる意味を感じるのです。
みなさんが、本学で学んだことを基礎として今後活躍することを大いに期待しております。
次に、建学の精神を思い返していただきたい。本学の建学の精神は「禅的仏教精神による人格の陶冶」です。その目的は臨済宗の宗祖である臨済禅師が「随処に主と作れば、立処皆な真なり」と言われるように、どの様な状況であっても主体的に行動できる、自立性・自律性を養成することです。横田総長は、昨年秋の「禅とこころ」の講義の中で次のようにおっしゃっています。
広辞苑第7版によれば、自立とは「他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること、ひとりだち」。但し、横田総長は、他の援助を受けても身を立てることができればよいとおっしゃっています。自律とは「自分の行為を主体的に規制すること。外部からの支配や制御から脱して、自身の立てた規範に従って行動すること」です。「換言すれば、それは一人の人間として、この世に生を受けたことの意味や自己の尊厳を自覚し、「自分の生活も他人の生活も大切にする」ということに他なりません」。
この自立性・自律性はとても大切です。一人の人として人生を歩むためにも、民主主義社会の形成者として社会参加するためにも、そして、人と人とが共に分かち合って生きていくためにも。
21世紀になり、人々は民主主義そのものに疑念を抱くようになりました。歴史の進歩の先には民主主義と自由主義が必ず実現するというような理想論は捨てるべきなのでしょうか。このような政治的、社会的状況下で皆さんを社会に送り出すことになりました。
しかし、私は希望を失っていません。「自由民主主義は基本的に漸進主義と政治的・社会的選択を基盤にするものであって、そのこと自体、展望を難しくする最大の原因と考えられ」ます。だからこそ、ハンナ・アレントが論ずる「許し」と罰のメカニズム、そして、「約束の力」によって、21世紀を切り拓いていくことができると信じているからです。佐々木毅先生が次のように説明しています。
「復讐」が過去の行為にとらわれ続けることに根拠を置いているのに対し、「許し」は過去の行為とその結果から双方を解放し、自由にするものである。そして「許し」の代替物になっているのが罰である。罰は許されるものであることを踏まえた上での対応であり、「復讐」とは全く位相を異にする。
約束は主体の多様性を前提にしつつ、人間の自由の持つ不確実さとその中で発生しうる予見不可能さの大海に対して、予見可能性の「小島」を人為的に創出しようという試みである。
私は人を信じます。特に若者の力を信じています。皆さん、苦難を恐れず、際限のない社会の「大海」へ漕ぎ出していってください。
卒業そして修了、誠におめでとうございます。
令和6(2024)年3月15日
花園大学学長 磯田 文雄