第25回花園大学人権週間 講演3
復興ではなく再創造を ~ Atomic age への処方箋 ~
宮西 優誌
守田さんは、作務衣姿の緊張している私を見て、「僕もちょっと仏教の研究をしていて・・・」と仏教のを切り出された。 守田さんは、元・同志社大学社会的共通資本研究センターの客員フェローであり、「社会的共通資本としての京都」という論文も上梓されており、そのような視点から法華経を中心とする日本仏教の特徴を、京都のおもてなしの心に代表される人々を楽しませ、幸福をもたらすものであるされ、商業の成り立ち、商人の本懐についての持論を披瀝して頂き、そういった歴史的背景を視野に入れつつ、現在の原子力産業についての見解を語っていただいた。
今回は、守田さんに話していただく内容は、原子力発電所の構造的問題と放射線の人体への影響の二点である。そのうち、前項より次項の、特に「内部被曝の危険性」について重点的にお話いただきます。
内部被曝を考える上で、重要になるのは「外部被曝と内部被曝とではメカニズムが違う」という認識である。しかし、具体的なメカニズムについてはここでは触れません。
被爆者の実際の苦しみから出発し、6,000人の被爆者を診てこられた肥田舜太郎氏の臨床的経験知と、それを引き継ぐ形で物理学の立場から理論的解明を試みる矢ヶ崎克馬氏、両氏は「内部被曝が外部被曝と比べて、はるかに人体への打撃力が格段に高いという事実」や「汚染された食べ物などから体内に放射性物質を取り込むことへの徹底した防御」を強く訴えられています。守田さんは、両氏の論に共通する右のような認識に依拠しながら独自の研究をされています。
もう一方の原発とエネルギー問題の実際について。一聴すると耳障りの良い「クリーンエネルギー」という語もその源を尋ねなければ、いわゆる「エコ商法」に絡め獲られてしまう。原発に於いても実態は、ウラン採掘・輸送・精錬・転換・濃縮・再転換・燃料加工・原発・再処理という一連の工程でCO2排出がないのは核分裂していない時だけである。
コスト面はどうかといえば、発電単価として立地対策・開発予算・廃棄物の保管(低レベル:300年間/高レベル:100万年)。廃炉・解体処分、廃棄物の最終処分。こうした問題は留保され、発電コストには含まれない。
「原発はなくても電気は足りる」、守田さんは火力発電所や水力発電所を止めて原発を優先的に動かしているのが実態であると指摘される。原発と雇用問題について謂えば、ドイツは自然エネルギーへの助成で64万人の雇用創出(単純に日本の人口に換算すれば93万人)を果たしている。「日本はエネルギー資源の宝庫」であり、水車(滝のような河川)・地熱(世界の十分の一の火山)・波力(津波)・太陽光・風力・バイオマス・・・といった多様なエネルギーの可能性がある。「禍福は糾える縄の如し」であり、「~ありき」といった前提条件を再検討する根底的な視点が必要である。一体誰の為か。批判するならまず自らに刃を。我々の生活が正当な要求に基づく限りにおいて。
そもそも原発のエネルギー(熱)効率は最低である。揶揄して言えば「巨大な湯沸し装置」であり、電気は「副産物」に過ぎない。エネルギーの三分の二が放射能とともに海へ放出されている。海水温より7~8度高い水を毎時70トン×54基である。これは温室効果ガスのように間接的にではなく、地球温暖化の直接的原因になっている。当然、生態系への影響も甚大である。
以上のように、原発が抱える問題は斯様に深刻です。しかし、現実を直視することから、本当の優しさや思い遣りは生まれてくるのではないでしょうか。
(みやにし・ゆうじ=国際禅学科三回生)