キャンパス紹介
キャンパスマップ
花園大学は建学以来、学生のみなさんの知性と人間性を育むキャンパスの創造に取り組んできました。
情報化時代に対応する最新設備を導入するとともに、人間らしい安らぎに満ちた雰囲気づくりにも配慮。
全ての施設に教育理念を象徴する名前を配しているのも、日常の中で禅の深い精神に触れてほしいという願いが込められています。
充実した教育環境を自分らしくフルに活用して、創造的なキャンパスライフを送ってください。
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1体育館・学生厚生施設真人館(しんにんかん)
1986(昭和61)年完成 地下1階・地上 2階
銅版茸きのドーム型流線というユニーク な外観を持つ総合体育館と講堂。館内2階 は、公式試合や体育の授業やクラブ活動、式典、講演活動にと多目的に利用されているメインアリーナ、1階には主に武道の道場として活用されているサブアリーナがあるほか、体育教官室などがあります。地下⻄側には、カフェテリア ふる~るがあり毎日学生たちで大盛況。なお地下東側は原付および自動二輪駐車場になっています。
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2本部棟栽松館(さいしょうかん)
1988(昭和63)年完成 地下1階・地上6階
キャンパスのメインストリートに面した栽松館は、1988(昭和63)年に完成した地下1階・地上6階の建物。内部には60の研究室をはじめ各学科課程の共同研究室、資料室、事務室が並び、いわば大学の中枢。栽松館という名前の由来は、黄檗禅師が、すでに木の茂る裏山に新たに松を植えている臨済禅師をみて、その理由を尋ねたことにちなんでいます。臨済禅師の答えは、「ひとつには美観、ふたつには後輩の手本」教育の基本精神がここにあります。
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3講師控室・茶室・学務部・入試課蔭凉館(いんりょうかん)
1983(昭和58)年完成 地上2階
花園大学には、全国の大学にも例をみない茶室があります。建物の2階に上り鉄扉を開くとそこは清閑とした別世界。八畳席2つと四畳半席1つから成り、待ち合いとしての控室、水屋、そして路地としての庭をえています。席名は「畢鉢羅窟(ひっぱらくつ)」。四畳半の本席は「傳心庵(でんしんあん)」。茶の道をじっくりと体験し、「わび」の境地に触れてください。
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4教室棟返照館(へんしょうかん)
2022(令和4)年完成 地上4階
創立150周年事業の一環で建替えられた返照館は、1階と2階にはそれぞれ大教室があり、講義だけでなく講演会などのイベントにも利用可能。その他中教室、小教室含め16部屋を擁しています。1階の小教室は、廊下側が全面ガラス張りとなっており、教室内は前後にホワイトボードとプロジェクタを設置しているため通常の講義以外にアクティブラーニングやグループワークにも利用しやすい仕様となっています。また2階から4階にはエレベーター横に北向きのカウンター机を配した自習スペースを用意。加えて返照館の2階から4階は先生方の個人研究室がある栽松館の3階から5階と階段やスロープで繋がっており授業の合間にも気軽に研究室を訪ねることができます。 返照館という名前の由来は、建学精神の本質ともいえる臨済録の「回光返照」からとられたもので、「外に向かってキョロキョロと探すな。自分の光で自分を照らせ」という臨済の言葉が息づいています。
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5教室棟惺々館(せいせいかん)
1977(昭和52)年完成 地上4階
教室棟は、ひとりひとりの学生が、伸び伸びと思う存分学術研究に励めるよう、細部にまで快適性に心を配っています。教室にはVTRシステムを備えるとともに、スロープ、誘導チャイム、エレベーターなどを完備し、身体に障がいを有する学生もスムーズに授業を受けることができます。「惺々」とは師彦禅師が毎日、「惺々著」(しっかり目が覚めているか)と自問し、自ら「はい!」と答えていたことにちなんだ名前です。自己究明の道は、日々の積み重ねなのです。
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6情報センター(図書館HUMIC)・歴史博物館・心理カウンセリングセンター・
ホール・特別教室、大学院文学研究科・国際禅学研究所無聖館(むしょうかん)1992(平成4)年完成 地下2階・地上5階
HUMIC(ヒューミック)の愛称で親しまれ、学生たちの自習、レポート作成などを支援する情報センター(図書館)があります。充実した書籍数を誇るとともに、コンピューターコーナー、AVコーナーを備え、手軽に楽しく多様なメディアに触れることができ、学生たちの情報収集に活発に利用されています。大規模図書館に引けをとらない豊富な映像ソフト(映画、学習ソフト)をAVコーナーで視聴できます。2000年には4階に歴史博物館が開館、2006年には地階に心理カウンセリングセンター(HCC)を設置しました。2020年10月からは3階に大学院文学研究科と国際禅学研究所が入りました。
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7学生厚生施設・教室自適館(じてきかん)
1998(平成10)年完成 地下1階・地上3階
地下に駐輪場、1階には売店「Yショップ」、書店「丸善」、「学生ホール」を設置。2階は中教室2室と学生相談・支援室および学生相談室。3階には、多目的大教室があります。塔屋には4面時計が設置され、キャンパスを行き交う人々に時を知らせます。自適館の「自適」とは、臨済録の序文に述べられた晩年の禅師の心境を表わす言葉。「ひきずりまわされ真の自己を見失いながらの生活を『自由』とはき違えてはならない。」「『内外ともに障碍(しょうがい)となるものがなく、のびやかに心を任せる生活』を送ってほしい」との願いが込められています。
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8教堂(きょうどう)
1999(平成11)年完成 地上2階
花園大学のシンボルとして、禅の教えを伝える場所です。音響設備の整えられたホールでは、行事活動は勿論、コンサートなどの多彩な催しも行われます。
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9大坐禅堂無文館(むもんかん)
1977(昭和52)年完成 地上2階
足を踏み込んだだけで気持ちの引き締まる異空間。ここは、200人が一同に坐禅できる大坐禅堂です。開講中の月曜から木曜日の昼休みに「昼坐禅」を実施するほか、一般の方も参加できる「月一坐禅会」を毎月最終水曜日に開催しています。
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10教室・実習・研究室棟拈花館(ねんげかん)
2009(平成21)年完成 地上4階
本キャンパスの東北側に位置し、一般教室のほか保健学、図工、音楽、博物館等の実習室やピアノ練習室、リトミック室、研究室があります。
霊鷲山(りょうじゅせん)で説法した釈尊が、華を拈(つま)んで大衆に示した時、摩訶迦葉(まかかしょう)のみは理解して微笑した。そこで釈迦は、言語で説明できない仏教の真理が摩訶迦葉に伝わったと告げた、という以心伝心による禅宗の伝法の始めを語る説話にちなんだ名前になっています。
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11教室・演習室対雲館(たいうんかん)
1996(平成8)年完成 地上3階
社会の変化にともない大学施設に対するニーズも多様化しています。花園学園創立130周年記念事業の一環として、演習室棟として設置したのが対雲館です。学究と交流を育む場所として、数多くの充実した講義が繰り広げられています。生き生きとした学生生活を実現する新たな舞台の誕生であり、その名前には、学生を雲に例えて人生の山々を乗り越えてほしいという願いが込められています。
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12書道実習室・考古学実習室・教室直心館(じきしんかん)
1997(平成9)年完成 地上3階
対雲館に続いて書道や考古学等の実習室棟として設置したのが直心館です。維摩経の一節、光厳童子の「道場はどこにあるのか」という問いに、維摩居士が「直心は是道場」(正直な心、素直な心があれば、その場が道場である)と答えた逸話に由来します。この学舎で出会う知識や友人たちと、卒業後も人生を語り合える豊かな「直心の心の交わり」を重ねてください。
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13学生会館楽道館(らくどうかん)
2020年(令和2)年完成 地上3階
花園学園創立150周年の記念事業の一環として設置しました。
当初2階と3階は教室でしたが、後にクラブ部室に用途を変更し、学生会館として機能しています。
楽道館という名前は唐代の禅僧に伝わった『楽道歌』が元となっており、花園大学二代目総長横田南嶺老師が命名しました。学問、芸術、スポーツなどそれぞれ道を好きになり、更に楽しんでほしいという思いが込められています。
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14中庭 ヒストリカル・ガーデン
花園大学の中庭は、本学ならではの歴史的・文化的モニュメントを配し、独特の景観を呈する一種の歴史庭園です。
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15グラウンド(本キャンパス)
授業と部活で使用しています。
利用時間:9:00~19:30
多目的グラウンド:一辺約60m 約3088㎡
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16京北校地グラウンド
クラブ・サークル活動の更なる活性化のため、京都市右京区(旧北桑田郡京北町)の地に設置しているグラウンドです。豊かで広大な自然に包まれて、思いきりスポーツに取り組むことができます。
豊富なメニューはびっくりするほどリーズナブル!!
真人館 地階カフェテリア「ふる~る」
「カフェテリア ふる~る」では、豊富なメニュー(日替メニュー、おばんざいビュッフェ、麺類、デザート等)を低価格でご提供しています。食材は、食の安全、地産地消を推進し、減農薬、朝採れの安全でおいしい京野菜を使用しています。
営業時間:8:30~13:30 (土日祝および休講期間中は定休)
「学生・市⺠と共に」がモットーのアットホームな「人権研」
栽松館 4階人権教育研究センター
「人権教育研究センター」では、人権拡張・反差別のため、学問の人間化(人間の顔をした科学)を目指し、自由かつ創造的な研究活動をしています。『人権教育研究会』やフィールドワークなど、『学生や市民と共に』をモットーにした研究活動はとってもユニーク。
学生も教職員も地域の方も、気軽に立ち寄れる、ここに来れば何かある。
栽松館 1階地域連携教育センター
地域×花大=無限∞
「地域」に「花園大学」をかけたら、どんなことができるのか。
可能性は「無限」に広がります。
気軽にふらっと立ち寄れる。ここに来れば、何かある。
わくわくしたり、ゆったりしたり、そんな場所でありたいと思っています。
花園大学地域連携教育センターは、「自己を知り、他者を受け入れ、社会に貢献する」ということを軸に、地域や行政、産業など多様な主体との連携やコーディネートを通じて、教育・研究、学生たちの活動の成果を地域の発展に活かすとともに、主体性と利他心を持って社会に貢献できる学生を育成します。
みっちり自習できるよ
無聖館 1階・2階情報センター<図書館>
蔵書数は約36万冊。日頃の読書からレポートや卒業論文の資料まで、知りたいこと、調べたいこと、勉強をしっかり支えてくれます。パソコンブースや映画などの映像ソフトが豊富に揃うAVコーナーもあり、1日ゆっくり過ごせる図書館です。
貴重な資・史料にふれて博学になろう!!
無聖館 4階歴史博物館
花園大学が永年の調査・研究により、蓄積した貴重な資料・史料を広く公開する歴史博物館。考古学、民俗学、美術・禅文化、歴史学・典籍、各ジャンルの常設展示の他、仏教美術を主とする企画展も行われ、学外からも多くの来館者を集めています。
休憩や友だちとのおしゃべりに最適!!
自適館 1階学生ホール
大きなガラス窓にかこまれた開放的な空間。自習や休憩、クラブ・サークルのミーティングなど、学生が自由に使える憩いのホールです。
品揃え万全でとっても便利!!
自適館 1階売店「Yショップ」
学内にあるコンビニ「Yショップ」。軽食からドリンク、スイーツまで、日常に必要な品々を取り揃えています
営業時間:8:30~15:00(土日祝および休講期間中は定休)
自適館 1階書店「丸善」
新刊書籍や雑誌、文房具を取り揃えています。店頭にない書籍、雑誌や授業の参考書などは取り寄せが可能です。
営業時間:10:00~16:30(土日祝および休講期間中は定休)
グラウンド(本キャンパス)
グラウンド
授業と部活で使用しています。
利用時間:9:00~19:30
多目的グラウンド:一辺約60m 約3088㎡
坐禅を組んでリフレッシュ!!
無文館 2階坐禅堂
土日祝と春夏冬の長期休暇の期間中以外、12:30から25分間、坐禅のすすめ(昼間坐禅)を開催。気持ちを静めて授業に挑む学生も少なくありません。
礼記射義(らいきしゃぎ)
弓道場
1988(昭和63)年完成
無文館に隣接するのは、本格的な弓道場。精神を集中して的へ矢を放つ瞬間は、禅につながる心の修養でもあります。
ここでピアノを上手になろう!!
拈花館 2階音楽演習室
50台以上のデジタルピアノがならぶ音楽演習室。幼稚園教諭や保育士をめざす学生たちが日々、懸命に練習しています。
思い切り打ち込める、「書」の空間
直心館 2F書道教室
「書道教室」では、実習の授業で書道に取り組める教室があります。
相手を見つけて、思い立ったらコート予約!
直心館テニスコート
授業と部活で使用しています。
一般学生も事前にコートが空いているか確認し、手続きをして利用することができます。(ラケットやボールは真人館で貸出)
利用時間:9:00~19:30
砂入り人工芝 1190㎡公式テニスコート2面
地蔵堂「花地蔵」
2009年7月27日に本学無聖館前の庭園内に地蔵堂は建立されました。堂内には本尊延命地蔵尊、お堂の周囲には13体の石仏が安座。建立時には、「地蔵菩薩開眼法要」が、阿部元学長導師のもと執り行われました。法要に先立ち、阿部元学長が、地蔵菩薩安置の趣旨を述べられ、芳井教授が、地域社会に根付き、受け継がれる「地蔵盆」について説明、「地蔵盆に参加され、体験されることにより、日本の伝統的な宗教精神に触れていただければ」と開催の趣旨を解説した後、「般若心経」の書かれた団扇が配られ、全員で心経を 唱和しました。法要の後は、地蔵盆の行事が行われました。
「お地蔵さん」(地蔵堂建立の趣旨説明 花園大学通信2009年11月vol3.より)
このたび、新学科の先生方や学生さんから地蔵盆をとのお話があった。そこでお手伝いの話がまとまり、地蔵盆には地蔵尊、地蔵尊には地蔵堂と言うことで、中庭の片隅に小さな祠と、本尊延命地蔵尊、石仏を安座した。
禅の理念はともすると具体性を忘れがちである。「捉われのない心」も、ともすると宗教的なあり方や社会性をも侵すかと想われるほど危うさがある。これは卑近な行事であって崇高な禅思想にはそぐわないとの声もあるかもしれないが、禅学の庭に招いたのである。
ひと昔前、師匠と田舎の道を歩いていた時のことである。
小道の曲がりっぱなで出くわした子供に「お地蔵さん!」と手を合わせられたことがある。
津々浦々で誰もが素直に手を合わせるお地蔵さん。まさに、この大地、生きとし生けるものの救いとしての菩薩行の精神の具体化である。どこにでも現れいつでもそばにいて手を差しのべる、六道能化地蔵願王菩薩。それは私たち自身のこと。お互いのこと。信じ合い、認め合い、受け入れ合い、いたわり合う時だれもがこの仏となり、願いの主となる。一人ひとりが地の底から湧き出ずる菩薩となって生きるのである。だれもが決して独りきりではなく、だれをも独りにはさせないという願いなのである。単なる京都の一風俗ではなく、地蔵盆を通して、身近に禅仏教の誓願を感じるのである。
私の長い話はさておき、皆さんが素直に手を合わせ合い、「おはよう」「こんにちは」と挨拶し合うことから理想の世界は始まるのである。
(花園大学学長 阿部 浩三)※所属・役職等は当時
「地蔵盆」について
地蔵盆は、お地蔵さんの縁日にあたる24日と盆の8月(旧暦7月)に、近畿地方を中心におこなわれる「町」の行事です。その源流は、地蔵信仰が起因する「地蔵講」と言われ、それがいつしか祭礼化され「地蔵祭」、「地蔵盆」と変化し、今日にいたります。その名のとおりお地蔵さんをお祀りするのですが、そのほとんどが路地に鎮座しているお地蔵さんが対象となり、かねてより京の町には地蔵堂がいたる所に安置されていました。明治時代に入ると地蔵堂撤去命令が布告されましたが、現在でもその名残をとどめています。
地蔵盆の主役は子どもたちであり、喜田川守貞の『守貞謾稿』に「児童等集テ、或ハ戯レ、或ハ百万遍ヲ唱へナドス。」とあるように子どもの行事でした。現在でも、京都の各町内からは子どもたちの元気な声があちらこちらから聞こえてきます。それは、お地蔵さんと子どもの関係が深く、全国各地の民話やわらべ唄が示すように子どもの守り神として信仰されてきたからです。
京都に住む人にとって地蔵盆は、京都三大祭同様、大切に育まれてきた行事と言えます。
(文化遺産学科共同研究室助手 伊ヶ崎 鷹彦)
水琴窟(枯山水)
阿部浩三元学長老師の発願により、中庭の校歌碑前に学生有志の協力を得て、2008年5月25日創立記念日にあわせてつくられました。舟形の水鉢から溢れ落ちる水が澄んだ音色を奏でています。
上山2号墳石槨
奈良県平群町上山2号墳 横口式石槨
奈良県平群町下垣内にあった古墳である。同古墳が立地した廿日山と呼ばれる丘陵が、宅地開発を受けることとなり、1989(平成元)年11月から2年4ヶ月かけて平群町教育委員会によって発掘調査が実施された。本古墳は、平面形が台形状の方墳(南辺幅10メートル、北辺幅7メートル、奥行9メートル)である。東側と北側には堀割がよく残っていた。
埋葬施設は、南に開口する横口式石槨で花崗岩系の石材からなる。床面に厚さ0.2メートルの板石が敷いてあることが特徴的であり、石槨は長さ2メートル、幅1メートル、高さ0.7メートル、羨道は長さ3メートル、幅1メートルに復元できる。
撹乱のため副葬品などはほとんど残っていなかったが、撹乱土中から出土した須恵器片には石槨の構造から推測できる7世紀中ごろの年代に合致するものがある。平群谷の古墳の変遷、ひいては飛鳥時代の古墳を考える上で貴重な存在である。
これも伊達宗泰元教授と地元平群町教育委員会などの尽力により、1990年4月30日と5月1日に本学構内に移築復元された。(村社仁史「大和における飛鳥時代古墳の一例-上山2号墳の発掘調査から-」『花園史学』第11号、1990年)
高家B-1古墳石室
奈良県桜井市高家(たいえ)B-1号墳横穴式石室
奈良県桜井市高家にあった古墳時代後期の群集墳(100基の横穴式石室墳からなると推定)のうちの1基で、B地区の1号墳に構築された横穴式石室である。本古墳は1993(平成5)年度、奈良県立橿原考古学研究所が発掘調査を実施した。古墳が造られた場所は、飛鳥の宮都が営まれた地域に近く、それとの関連が推定される貴重な遺跡である。
1号墳は6世紀末に築造された直径約10メートルの円墳で、石室内から多くの土器、大刀などを出土した。石室は左片袖式(左右は奥壁から羨道を向いた場合の表現)、全長7.00メートル。玄室長3.46メートルを測る(奈良県立橿原考古学研究所『奈良県遺跡調査概報』1994年度、1995年)。玄室内には石を敷いた棺台が用意されている。
本古墳の石室は、本学に在籍した伊達宗泰元教授が、調査後の1994年5月上旬に構内に移築・復元したものである。
花園大学文学部文化遺産学科では実物資料を使った文化遺産の授業を多く実施しており、この2古墳も考古学実習などの授業の教材として活用され、同時に遺跡保護の精神の涵養にも役立っている。
三代目雪江松
無聖館前の中庭に一本の松が植えてあります。それは本学の開学120周年の年、妙心寺に伝わる雪江松より根分けして植樹したと伝えられています。この雪江松については古い歴史と深い意味があります。『臨済録』の「
行録
」に、この因縁話が出ています。
師、松を
栽
うる次いで、
黄檗
問う、「深山裏に
許多
を栽えて、
什麼
をか
作
ん。」師云く、「一つには、山門の
与
に境致と
作
し、二つには、後人の与に
標榜
と作さん。」
道
い
了
って
钁頭
を
将
って地を打つこと三下。
-あるとき、臨済禅師は一生懸命松を栽えています。そこへ、のこのことやって来た師の黄檗禅師が、「どうした!こんな深山幽谷の松や杉が一杯繁っている所で、わざわざ松の苗を栽えてどうするのか」と質します。臨済、答えます。「一つには山門の境地とする、すなわち将来この木がどんどん大きくなって、いよいよ修行道場にふさわしい幽邃な境地とするために。二つには後人の標榜とする、すなわち、二百年、三百年後、大樹となった松が人々の目印しとなるために」と言い終わって、その鍬を持って地を打すこと三下-トン、トン、トンと三回大地を叩きます-
この「臨済栽松」の因縁を踏まえて妙心寺の境内には、法の永遠を願って松が沢山あります。しかも南門を入って三門、仏殿、
法堂
、大方丈と続く伽藍の周囲には、見事に松の木以外の樹木は一本もありません。
さて、無相大師によって建武4年(1337)に妙心寺が建立されます。二世
授翁宗弼
、三世
無因宗因
……そして八世
義天玄紹
禅師と苦難の時代が続きます。応仁元年(1467)に応仁の乱が起こりますが、都が焼け野原となったあと、妙心寺住持
雪江宗深
禅師によって妙心寺発展の基礎が作られました。その門下に、
景川宗隆
/
龍泉
派、
悟渓宗頓
/東海派、
特芳禅傑
/霊雲派、
東陽英朝
/
聖澤
派の四哲があり、この四派がのちに発展し、開山の
関山
一派の禅が諸国へ伝播され、遠く琉球までもひろまっていったのです。雪江禅師は仏法の興隆を念じて仏殿東、経蔵の西北に一本の松を植樹します。
以来「雪江松」として大切に保護され、五百年余りも「
松樹
千年の
翠
」をたたえてきた名木でした。周囲十六尺、高さ十三間、幹根蟠居し枝葉繁茂した見事な古松だったと言い伝えられています。しかし昭和に入り少しずつ弱り、昭和4年についに枯死するにいたるのです。その顛末が「雪江禅師四百五十年
遠諱
大法会記録」に述べられています。
亭々
中天を
摩
して五百年の緑をたたへて来たが、大正の末年に至って
頓
にその勢いを失ひ、上半身が次第に枯れ初め、昭和3年頃、中半身が又枯れ出し、当局苦心の手当も甲斐なく同4年には次第に最下部に及び、所々青葉が
点綴
するのみで殆ど枯木同然となり、同年12月21日前管長玲竹軒老大師導師の下に冬至祝聖後、本所執事並一山総出頭、大悲咒・消災咒を
諷経
して伐採した。
惜雪江松(雪江の松を惜しむ)
十尺青松元寸岑(十尺の青松、元と寸岑)
多年培養霊根深(多年培養して、霊根深し)
雪霜五百樹齢尽(雪霜五百、樹齢尽くるも)
老祖宗風無古今(老祖の宗風、古今無し)
喝
その後、山内の衡梅院様等で
実生
の松が成長します。時代を経て、開学120周年の折、三代目の孫松が根分けして本学に植樹されたのです。それが本学の「三代目雪江松」です。本山の孫松が平成11年に枯死し、今の「雪江松」は微妙殿落慶の折、三笠宮殿下お手植えの曽孫の松です。因みに三門と仏殿との間にある四本の松は「四派の松」といわれ、四本庵(龍泉庵・東海庵・霊雲院・聖澤院)を意味しています。この松は代々一株から二本の幹がのびている樹が植えられ今日を迎えています。(細川 景一)
初代雪江松 大正13年初秋