第27回花園大学人権週間 講演3
知花昌一さん(真宗大谷派僧侶)
◆プロフィール◆
沖縄県読谷村生まれ
沖縄大学法経学部中退
元読谷村議会議員
食品スーパーなどを経営しながら、「集団自決」
の調査など、反戦平和運動を行う。
2012年真宗大谷派僧侶となり、一昌と名乗る。
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“非僧非俗”に見える憲法
八木晃介
花園大学人権週間に知花昌一さんをお招きし、お話をうかがうのは今回で二度目です。一度目は1996年の第10回人権週間で、その時は「沖縄から日本をみる」がテーマでした。
その時の知花さんの肩書は「反戦地主」でした。反戦地主というのは、在沖米軍に自分の土地を絶対に貸さない人々です。通称「象の檻」(沖縄県読谷村にあった在日米軍・楚辺通信所の通称)のなかに、知花さんは祖父の宅地70坪を所有していましたが、これを米軍に貸すことはアメリカの戦争政策に加担することになると考えたのです。地主が土地を貸さなければ米軍基地の存立が危ぶまれるので、あわてた日本政府は1997年、米軍用地特措法を改定して用地収容を合法化するという手段に出ました。この土地は同特措法による延長使用期限が切れた2006年7月に知花さんに返還されました。
知花さんには、政治家の肩書もありました。すなわち、1998年から2010年まで読谷村議会議員をつとめられました。沖縄大学在学中から自治会委員長として復帰闘争に参加してきたほか、その後スーパーマーケットなどを経営しながら、沖縄戦における強制的集団死についての調査活動などさまざまな反戦平和運動を積み重ねてこられたのですが、それが議員活動のバックボーンになったのです。なお、強制的集団死は一般に”集団自決”と呼ばれていますが、日本軍による誘導・説得・命令によって親子・兄弟・友人同士が殺し合うありさまは、やはり「強制(的)集団死」というべきです。
知花さんには、「刑事被告人」という肩書が押しつけられたこともあります。1987年の沖縄国民体育大会で、読谷村のソフトボール会場に掲げられた日の丸を引き下ろし焼き捨てた事件です。天皇の戦後初の沖縄訪問によって強まる日の丸・君が代の強制に対する抵抗だと知花さんは主張しました。器物損壊などの罪に問われ、那覇地裁は1993年、懲役一年執行猶予三年の有罪判決を言い渡しましたが、判決文の最後の部分には、「読谷村で生まれ育った被告人が、同村における沖縄戦の歴史、とりわけチビチリガマの集団自決の調査等をとおして日の丸旗に対して否定的な感情を有するに至ったこと自体は理解し得ないわけではないこと、損壊した物は比較的安価であり、業務妨害の結果も比較的小さいこと、被告人は長年正業に従事するとともに、読谷村商工会の役員をつとめるなど同村の発展に協力してきた者であることなど被告人のために酌むべき事情も認められるので、これらの事情をも併せ考慮した上、主文掲記のように刑の量定をした」と。ほとんど無罪判決とみまがうような判決でした。むろん知花さんは控訴しましたが、福岡高裁は1995年、これを棄却、知花さんが上告しなかったので、一審判決が確定しました。
周知のように、沖縄は1972年に日本に復帰しました。その復帰運動を闘った知花さんをはじめ多くの進歩的な人々も日の丸を振っていました。当時の沖縄の人々にとって、日の丸は、基本的人権、平和主義、国民主権をかかげる輝ける日本国憲法の象徴ととらえられていたからです。しかし、復帰の内実は単に施政権が返還されるだけで、在沖米軍はそのまま残るばかりか、ますます増強されること、日米地位協定によって日本の主権の一部を米軍に譲渡すること、あまつさえ”おもいやり予算”までつけることが分かるに及んで、日の丸は本土による沖縄差別・迫害の象徴でしかないと知花さんたちはかんがえた、と私は想像し、そのような文脈で日の丸焼却事件をとらえています。
さて、知花さんの現在の肩書ということになると、やはり「真宗大谷派僧侶」ですね。親鸞聖人に弟子入りされたわけですが、私の知る限りでの知花さんのこれまでの生き方はまさに親鸞的であったのではないかとおもいます。親鸞の主著『教行信証』後序に有名な「主上臣下、法に背き義に違し、忿りを成し怨みを結ぶ」という天皇およびその臣下への強烈な糺弾の言葉があります。いわゆる承元の弾圧に関する糺弾であり、この弾圧によって親鸞は越後に流罪となり、僧侶の身分を奪われ俗名をあたえられました。続けて親鸞は「しかれば、すでに僧にあらず俗にあらず。このゆえに禿の字をもって姓とす」と記しています。知花さんは、昨年冬の京都での講演で、「非僧非俗とは”非国民”のこと」と話されていましたが、要は、日本人としてではなく沖縄人(ウチナンチュ)として、境界的に生きることの宣言として私などは受けとめました。
私が知花さんに直接会った最後は2011年12月28日でした。日本政府(沖縄防衛局)が米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設にむけた環境影響評価書を沖縄県庁に持ち込もうとしたのに対し、沖縄の人々は県庁廊下に座り込んでこれを阻止しようとした時、私もこれに参加し、知花さんと並んで座り込みました。ヘンな話ですが、その時の知花さんの作務衣姿が目に焼きついています。
現行憲法がいまや風前の灯火のように危うくなっています。天皇を元首化し、その元首のもとで国防軍を設置して「戦争のできる国」に衣替えし、同時に人々の基本的人権を鋭角にせばめようとするのが安倍首相の方向性です。このような状況のなかで、ウチナンチュ・知花さんがどのように斬新な考え方を提示されるか、私はおおいにワクワクしています。
(やぎ・こうすけ=人権研センター前所長・文学部教授)