第30回花園大学人権週間 講演2
鹿島啓一さん(金沢税務法律事務所・弁護士)
◆プロフィール◆
かしま・けいいち
弁護士(金沢弁護士会所属)
東京外国語大学卒業
2007年 弁護士登録
所属する原発裁判弁護団:志賀,大飯,高浜,伊方,川内原発他
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「裁判における判決の公平性」
中尾 良信
人権教育研究センターの現地研修では、2015年8月に福島県浪江町を訪れました。いうまでもなく、2011年の東日本大震災に際しての、福島第一原子力発電所事故による放射能汚染で、全村避難を余儀なくされた地域の一つです。そのときのレポートでも報告しましたが、事故以来4年半を経過して、汚染除去を含めた復興事業は進められているとはいうものの、人の住む街として甦りつつあるかといえば、決してそのようには見えませんでした。仮に避難解除になったとしても、これから子どもを産み育てようという若い人たちが、果たしてここを生活の場として選ぶかといえば、かなり厳しい問題といわざるを得ません。つまり原子力発電というものが、いったん事故を起こせばここまで深刻な状況になるものだということを、私たちは身にしみて理解したはずです。それにもかかわらず、愛媛県伊方原発や鹿児島県川内原発は再稼働しました。伊方原発は事故の場合の避難経路も明確ではありませんし、鹿児島県三反園知事の要請を拒否して、川内原発は稼働し続けています。無論、将来に向けて安定的に電力を確保することは、きわめて重要な問題ですし、原発についても賛否を含めてさまざまな意見があると思いますが、現実に制御しがたい事故の可能性があるものを使うのであれば、万全の安全性が確保されるべきであり、特に周辺住民の安心を得ることは、不可欠の条件だと思われます。
こうした状況の中で、私たちが住む近畿地方において話題となったのは、関西電力の福井県大飯および高浜原発に関する訴訟問題です。高浜原発に関していえば、2016年4月に大津地裁が3・4号機の運転差し止めの仮処分を命じる決定を下し、現時点では稼働していません。しかし、それ以前の福井地裁における裁判では、2015年4月に再稼働差し止めの仮処分が命じられましたが、関西電力の異議申し立てを受けて、12月24日には仮処分命令が取り消されました。同じ裁判所において相反する決定がなされたというのは、どういうことなのでしょうか。その裁判を巡る経緯や事情をお話し戴くために、今回お招きしたのが金沢弁護士会所属の鹿島啓一弁護士です。鹿島弁護士は、「福井から原発を止める裁判の会」の弁護団のお一人で、大飯・高浜の原発再稼働差し止めの訴訟に継続的に関わっておられます。詳しいことは当日のお話に譲りますが、大きなポイントは相反する決定を下した裁判官が異なるということです。つまり、再稼働差し止めの決定を命じた裁判官は、その後別の裁判所に異動を命ぜられ、後任として赴任した裁判官が仮処分命令を取り消したということです。言い換えれば、住民の主張を認める判決を下した裁判官の異動は、たまたまなのか、それとも判決内容と関係があるのか、という点に疑問を感じてしまいます。あたかも大企業に不利な判決が下された直後に、それを覆すために別の裁判官が赴任したとも考えられます。いったいどういうことなのでしょうか。
このことに関連して思い出すのは、映画「シャル・ウィ・ダンス?」の周防正行監督の、「それでも僕はやっていない」という映画です。内容は、痴漢と疑われた主人公の若者が、示談を拒否して裁判の被告となり、弁護士や友人の協力で無実を証明しようとするものですが、公平に審理を進めていた裁判官が突然交替し、替わった裁判官は、無実を証明するための証拠を採用することなく、有罪判決を下します。映画は、主人公が「控訴します」と叫ぶシーンで終わっていますが、いわば裁判において下される判決が、本当に客観的で公平なものかどうか、ということを問いかけているわけです。福井地裁における原発裁判においては、はたして同じようなことがあったのかどうか。住民の訴えを認める判決を下した裁判官を罷免し、大企業に有利な判決を下すために別の裁判官を任命するというようなことが、司法の場で行われるのかどうか。鹿島弁護士から詳しいお話をうかがうことで、ふだん私たちがあまり直接的に関わることの少ない裁判の裏で、何が起こっているのかを知ることができるのではないでしょうか。
さて、講演のタイトルにある「お金にならない原発裁判をやる理由」について、鹿島弁護士御自身が告白されていることによると、やはり福島第一原発の事故が大きな契機であったようです。これまで他人事であった原発が、実際に身近な若狭・北陸の地にあることに気づかれ、人が安心して暮らせる社会の実現には、この問題を避けて通れないと考えられたそうです。考えてみれば、もっとも原発依存度が高いのは関西電力であり、若狭地区に集中する原発のどこかで事故が起こった場合には、花園大学もその影響を免れることはできません。原発の問題は、私たちにとっても決して他人事ではないのです。地震という災害だけを見ても、1985年の阪神淡路大震災、2011年の東日本大震災、そして2016年の熊本地震と、いつどこで大地震に見舞われるかはわかりません。私たち花園大学の教職員や学生にとって、自分自身の問題として、かつ将来を見据えて原発問題を考えるきっかけとして、今回の原発訴訟のお話を活かして戴きたいと思います。
(なかお・りょうしん=人権研センター所長・文学部教授)