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人権週間

第30回花園大学人権週間 講演3

鍋島直樹さん(龍谷大学文学部教授)

鍋島直樹さんプロフィール写真

◆プロフィール◆
なべしま・なおき
龍谷大学文学部真宗学科教授。実践真宗学研究科臨床宗教師研修主任。
人間・科学・宗教オープンリサーチセンター長。浄土真宗本願寺派真覚寺副住職。
京都府立医科大学医学倫理審査委員。浄土真宗本願寺派ビハーラ活動推進委員。
日本スピリチュアルケア学会理事など。
受賞 日本医師会優功賞(2013)
専門 真宗学。仏教生命観、生命倫理学、親鸞における生死観と救い、ビハーラ活動論。
死の前で不安を抱える人、死別の悲しみにある人の心に届くような仏教死生観と救済観の研究に取り組む。
東日本大震災の被災地を震災直後から訪問し、遺族と心の交流をつづけている。
2014年、東北大学大学院と連携して「臨床宗教師研修」を龍谷大学大学院で実施。
2002年から2013年、日本医師会生命倫理懇談会委員を務めた。

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「ビハーラ」と「臨床宗教師」とは何か

西岡 秀爾

 この紹介文を書く直前、西本願寺の宿である聞法会館(京都市下京区)で鍋島先生にお会いした。「仏教看護・ビハーラ学会」という集まりにおいて、シンポジウムの司会・コメンテーターを担われていた。直前の打ち合わせのため、控室に鍋島先生(僧侶)を取り囲むように四人のシンポジスト(医師・看護師・僧侶・遺族)が集まっていた。私は大会事務局としてお茶出しをした際、いつもと変わらずにこやかな鍋島先生の存在が、その場をパッと明るくしているのを感じた。
 さて、今回の講演タイトル中にある「ビハーラ」という言葉を初めて聞かれた方も多いと思う。「vihāra(ビハーラ)」は、サンスクリット語(古代インド語)で「僧院・寺院」「安住・休養の場所」の意味であるが、わが国では田宮仁先生が1985年に、「仏教を背景としたターミナルケア(終末期医療)施設」の呼称として提唱して以降、仏教を基盤とした支援活動全般を指すまでに広がってきている。前述の学会の2016年度学術大会における主要なイベントとして、提唱者である田宮先生がビハーラ提唱30年を祝して記念講演をされた。この分野に興味を持ち、細やかながら携わってきた私としては、裏方スタッフとしてではあるが、その場に居合わせて至福の時を過ごすこととなった。
 しかし、提唱者である田宮先生をはじめ、ビハーラ活動論を専門とする鍋島先生は、間違いなくずっと先を見ておられる。ビハーラ活動がより拡散し、誰もが必要とあらば日常生活においてあたり前に享受できる日本社会の実現に向けて先陣を切り続けている。
 今回、お招きした鍋島先生は、ビハーラ活動の実践者養成にも情熱を注いでいる。先生は『生死を超える絆-親鸞思想とビハーラ活動-』(方丈堂出版、2012年、315頁)で次のように語っている。

  仏教を背景とするビハーラ活動は、患者の死の恐怖をその都度、緩和し、患者を現状に十分に適応できる人間(a fully    
  functioning person)になるように仕向けることではない。また看取る人にある何らかの力で、相手を助けるのでもない。 
  看取る家族やスタッフが、その病人に誠実に尽くしても、なおそこに限界があるからである。相手に対して何も十分なこ
  とができなくても静かにそばにいて、その人の苦しみと願いを共有しようとするところに、人間の自然な慈しみの姿勢が
  あるだろう。

 すなわち、たとえ仏教を拠り所にする支援者であっても、「仏教ありき」ではなく、「目の前の人ありき」という姿勢こそが大前提であることを教えてくれる。つまり、支援の基礎と言われる「not doing but being(何かをすることではなく、ただそばに寄り添うこと)」をどこまでも大切にしていることが理解できよう。特に、人間関係を、”支える側-支えられる側”という上下関係(一方向)ではなく、共に”支え支えられる同士”という水平関係(双方向)として捉えている。ここには僧侶である鍋島先生の揺るぎない信条の根底に、「生きとし生けるものは互いに支えあって生かされている」という仏教の縁起観が一貫して流れているのではないかと思う。例えば、ビハーラ活動の特色として、「患者とその家族を医師、看護師、僧侶、縁者などが全人的に支援するだけでなく、支援する自分たち自身が、患者に深く支えられていることに気づかされるところにある」(前掲書、23頁)と明言していることからも見て取れよう。
 次に、講演タイトルの最後にある「臨床宗教師」という言葉もあまりなじみのない言葉かもしれない。2011年の東日本大震災を契機に、東北大学実践宗教学寄附講座で人材養成がはじまり、現在では鍋島先生のおられる龍谷大学、鶴見大学、高野山大学、武蔵野大学、種智院大学などの大学機関に広がりを見せている。先駆けとなった東北大学実践宗教学寄附講座のパンフレットに「臨床宗教師」の説明がわかり易く紹介されている。

  「臨床宗教師」は、被災地や医療機関、福祉施設などの公共空間で心のケアを提供する宗教者です。「臨床宗教師」とい 
  う言葉は、欧米のチャプレンに対応する日本語として考えられました。布教や伝道を行うのではなく、相手の価値観を尊
  重しながら、宗教者としての経験をいかして、苦悩や悲嘆を抱える方々に寄り添います。仏教、キリスト教、神道など、
  さまざまな信仰を持つ宗教者が協力しています。

 「臨床宗教師」は、宗教施設ではなく、公共空間において超宗教の宗教者が手を取り合い、地域の支援者と連携しながら支援活動を行うところに特徴がある。つまり、宗教者として自らの教えを広めるために(あるいは、自らの生活のために)活動するのではなく、「目の前の人ありき」というところから全てが始まる。この臨床宗教師を養成する大学として、東北大学(2012年開設)に続いたのが龍谷大学(2014年開設)であり、その人材養成研修の主任が鍋島先生である。
 マスコミでも頻繁に取りあげられている「臨床宗教師」とは、どのような役割を持ち、これからどのように展開していけるのか。また、その人材養成に携わるうえで特に重んじていること、生じてきた課題などを伺いたいと思う。さらに、浄土真宗本願寺派が牽引してきた30年に亘るビハーラ活動とは一体どのような営みであり、今後どのように発展していくのか。この道の功労者である鍋島先生から貴重なお話を賜りたい。
 講演に参加される皆さんの中には、日頃、仏教・宗教にはほとんど関心がないという方々もおられることだろう。しかし今回、鍋島先生の講演を通して、一人の人間として「人に寄り添う在りよう」について各自が考える契機になればと願っている。取り扱われるテーマは重いかもしれないが、会場を後にする際には、きっと足取りが軽くなっている自分に気づくことであろう。

(にしおか・しゅうじ=人権研センター研究員・社会福祉学部専任講師)